一昨日、9月市会が閉会しました。9月市会は決算を審議する議会です。平成29年度決算も極めて厳しい数字でした。特別の財源対策と言われる赤字の補填が113億円も行われました。100億円を上限と約束していましたが、守られませんでした。また、32年度には、この特別の財源対策を辞めるというのが28年にたてられた財政再建計画でしたが、これも事実上断念する旨の発言が市長からされました。そもそも28年に辞める予定が32年に後ろ倒しされ、それも今回無理になったわけです。
よく、ツケの先送りと言われますが、京都市の借金や特別の財源対策のような赤字の補填は、将来の税金でしか返済できません。子ども達や孫達のお金を今使っているという危機感と罪の意識をもっと重く受け止めなければいけません。国からの地方交付税が減り続け、社会保障費が増え続け、構造的に厳しい財政運営なことは理解してます。だからこそ、収入の範囲で支出するという予算組みに変えていかなければなりません。あれもこれも支出して、足りない分は借金というのはもう通用しない時代です。もちろん、痛みをともないます。しかし、次世代がもっと痛みを感じることになるなら、今、私たちが痛みを我慢しなければいけません。
歳出削減の話をすると、市長は決まって、「縮小一辺倒の縮み志向にならず、未来への投資を行う」と言います。縮み志向にならなくて良いし、未来への投資も行なったら良い。子育て政策や産業振興にはもっと予算をかけたら良いと思います。防災予算もつけるべきです。
しかし、大型工事が続いていますが、本当に必要なのか、もっと簡素なものでも良いのではないか。中央卸売市場に600億円はかけ過ぎでしょう。芸大移転も予算の裏付けがないのに無責任ではないですか。民間企業との比較による人事院勧告で公務員給与の引き上げが行われてますが、一部の大企業の給与水準と比較した世間ズレした引き上げを容認してよいのでしょうか。例えば、水素自動車や電気自動車の普及にお金を注ぎ込んでますが、1自治体の京都市がやって効果がありますか。実績も出てないのにやり続けるのですか。国や民間に任せるべきものにお金を注ぎ込みすぎではないでしょうか。今がよければよい、自分がよければよいになってないでしょうか。
4議席という力の無さに無力感に襲われますが、折れずにぶつかっていきたいと思います。